




Cottie(コティー)はトータルビューティストだからこそ持っている多角的な視点で、あなた様の魅力を最大限に引き出し、キレイを応援するだけではなく、非日常的な癒しの空間をご提供できるサロンです。
ですが、「1歩でも10歩でも先に進みたい」「日々向上したい」というこの気持ちとお客様との間に、温度差があっては居た堪れません。
“どこまでも成長したいけど、お客様の喜びになるなら、10歩でも100歩でも戻りたい”
このようなあなた様に寄り添ったサロンで、いつまでもいさせていただきたいと想っております。
「自然に内側から美しくなりたい」
「出会ったことがない自分に出逢いたい」
そのようなご期待にお応えいたします。
13才から人の髪を切っていた…早熟すぎる美容師人生とは?
※以前、メディアでインタビューしていただいた記事をそのまま転載しています。
このスゴ技の誕生のきっかけについて教えていただければと思います!
元々は編み込みを2つに分けるスタイルをナイチンゲールスタイルというんですけど、このスタイルは髪を編み込んで固定することで、動いても髪が邪魔にならないので、看護師さんがナースキャップをかぶる時によく使うスタイルです。
以前、仕事でよく看護師さんにナースキャップが授与される「戴帽式」という式のスタイリングをやらせてもらっていたんです。
※戴帽式(たいぼうしき):看護師を目指す学生たちが、初めての病院実習に臨む直前に、教員が、学生1人1人にナースキャップを与え、看護師という職業の意識を高め、またその責任の重さを自覚させるための儀式。
式の間に合わせるために、どこの現場でも2時間でだいたい20人ほどの学生の髪型をこのナイチンゲールスタイルに編み込んでいました。
2時間で20人っ?!ものすごい数ですね…
はい、そうなんです。
一度にそれだけの数をスタイリングするので、とにかく1秒でも早く1人のスタイリングを終わらせなくちゃいけなくて、その経験から自然に速く編み込みをする技術が身に付きました。
今まででトータルでどれくらいの人数の編み込みをご経験されたんですか?
もう美容師歴20年なので、流石に覚えていないですね(笑)
最低でも500人ぐらいはやっていると思います。
ですよね(笑)!美容師歴20年とのことですが、美容師になると思ったのは、何かきっかけがあったんですか?
きっかけは実家の前が美容室だったことです。
家の前が美容室なんて、なんて素敵なっ!
はい、とてもよくしてもらっていました。
あとは、私自身が昔から天然パーマがコンプレックスで悩んでいたんです。
だから幼い頃から、すごく髪に執着心がありました。
子どもながらにいつも、「このくせっ毛の天然パーマを直したい!」って思っていて色々試しました。
えっ、自力で天然パーマを直そうとしたんですか?
はい、天然パーマを直そうとすると、美容院で縮毛矯正するのが早いんですけど、縮毛矯正って費用が高いから、なかなかいけなくて。
※縮毛矯正(しゅくもうきょうせい):縮れた髪、クセの強い髪を直毛の状態に固定する技術。美容院の平均相場は1万円超。
そうだったんですね、どうやって自分でくせ毛を直す技術を身につけたんですか?
母がアパレルで土日、家にいなかったんです。
だから、家の前の美容室によく遊びに行かせてもらっていたんです。
美容室では切った髪の毛をチリトリで集める仕事を任されていました(笑)
そこの美容師さんに色々教えてもらいながら自分でも勉強して、中学生の頃には、自分の髪を真っ直ぐにブローする技術を身につけました。
同時にその頃から、自分の髪や友だちの髪の毛を切り始めていましたね。
中学生からもう髪を切っていたんですね…早すぎてビックリです…!
学校の担任の先生の髪の毛も切らせてもらっていました。
その時の伝説が1つあって…
で、伝説ですかっ?!気になって仕方ないので、ぜひ教えてください(笑)
当時、レザーカットっていうカミソリを使って、髪を切る手法が流行っていたんです。
それがやりたかったんですけど、レザーカット専用のカミソリを持っていなかったんで、自分のカミソリでやったんです。
そしたら、自分の指の第一関節の間を切ってしまって…もう手が血だらけで、床も血の海で大変でした。
想像しただけでも、痛いっっ!
はい、結局、脳外科に行って4針縫う大怪我でした。
今となっては笑い話ですけど(笑)
でも、その時からどんどん新しい技術を習得したい気持ちが強くて。
それぐらい昔から髪をいじるのが好きだったんです。
そしたら中学、高校を経て、専門学校に行ってすぐ美容師になったんですか?
17歳の時に、アルバイトで雇ってくれるところを見つけて、そこで美容師として働き始めました。
そこでそのまま就職して働きながら、通信制の学校で美容師免許を取るための勉強をしました。
高校生からすでに働いてらっしゃったんですね…すごいっ!高校生時代ヘラヘラ遊んでいた自分が情けなくなってきました(笑)。その最初に働いていた美容室を経て独立されたんですか?
最初は茨城県の美容室で働いていました。
そこから他の店舗で働かせてもらったり、別の資格を取ったり、紆余曲折がありながら、今に至ります。
黒沢さんの経営されているコティーは日本で唯一の「女性専用トータルビューティーサロン」ですが、髪以外のジャンルも扱い始めたのは何かきっかけがあったんですか?
子どもができて時間の都合で、フルタイムで働けない時期があったんです。
アルバイトや派遣のような形であれば働けたんですが、当時はまだサロン業界にそういった文化がなくて、美容師として働くにはフルタイム雇用以外、道がなくて。
そうなった時に、その時間を無駄にしたくないと思って、エステの勉強を始めてエステティシャンになりました。
エステの勉強だけではなく、もう完全にエステティシャンに転身されたのですね…すごい行動力です…!
勉強することが好きなので、苦ではなかったです。
だいたい休みの日はいつも何かしらの勉強するのが趣味なんです。
エステティシャンとして働いているうちに、子どもも大きくなって、またフルタイムで働けるようになってから、美容師に戻りました。
そして美容師としての技術が落ち着いてきた後に、少しずつ着付けやマツエク、ネイルの技術も1つずつ習得していきました。
それが今、コティーがトータルビューティーサロンになった経緯です。
コティーはどんなイメージのお店ですか?
コティーは、先ほどお話しした、昔、家の前にあった美容室とまったく同じ形の外観をイメージして作ったんです。
大好きな美容室だったし、私が美容師になるキッカケを与えてくれた美容室なので。
その美容室は、外観にテントがついていて、外壁が木造でできていたんです、それをそのまま再現したのがコティーです。
当時、美容室があったのも蒲田で、私がコティーをオープンしたのも蒲田です。
すごく素敵なエピソードですね!当時のお世話になった美容室の方も喜んでくれたでしょうね!
実は、私が店をオープンした時に、その美容室はもうなくなっちゃって…連絡先も知らないので、まだ自分の店をオープンしたって言えていないんです。
そうなんですか、すごく残念というか切ないというか…
はい、でも蒲田でコティーを続けていたら、いつか気づいてもらえると思うので、それまでにもっともっとコティーをいいサロンに育てていきたいです。
ちなみにそのお世話になった美容室は「リボン」という名前の店舗で、「ずっと理想的なお花畑のような美容室だなぁ」と思っていたんです。
そしたら、自分がコティーをオープンしてから、ご挨拶に行こうと思って色々調べたら実は美容室の名前がリボンではなく「ボン」だったことが発覚して、ちょっとショックを受けました(笑)
リボンだと思っていたのがボンだったとは…それは衝撃ですね(笑)。コティーはどんなお客様がいらっしゃいますか?
うちのサロンは本当に年齢が幅広くて、0才〜90才までのお客様がご来店してくださいます。
0才から90才っ!本当に幅広い方々に愛されているサロンなんですね!
はい、本当に色々な方にご来店いただき感謝しています。
ですので、これからも年代問わず、誰にでも居心地のよいサロン作りを心がけていきたいと思います。
これからも老若男女に愛されるサロンとしてのご活躍を楽しみにしております!この度はありがとうございました。
ありがとうございました。